見通し稲荷 金山神社 琴平神社

青柳次郎

 小芝神社に合祀されている見通さんは、昔旅の武士がこの地に参り死去し、持っていた見通し稲荷のご神体を鍛冶町民池上仁左衛門さんがまつり、その後同じ町内の池上嘉三郎さんのところへ移し、明治初年に小芝神社に合祀したといい伝えられている。

 元の見通さんのあった場所は鍛冶町東裏で海岸まで田圃で、蒲ん田 (ガマンダ)と称して一軒の家もなかった。その後丸八鍛冶屋の池上長十さんが夢枕に見通さんが元の鍛冶町に帰りたいといったとのことで、私たち十人ばかり呼び出されて、岡の神主の総代の長澤様の所に参り県に働きかけてもらいましたが、合祀されたものは元に戻すことは出来ないとのことで立ち消えとなりました。地所は町内の見通さんの地所として戦前までありました。

 金山神社は、鋳物師町、鍛冶町、本郷町十数軒の農鍛冶屋の人達で祭り、近代に至り農鍛冶は全くなくなり機械の鉄工組合(市民会館前) の中に金山神社は祀られております。

 琴平さんは旧江尻の宿時代の花柳界、旅館、料理店仲間で港屋主人、市さんが代表で世話をしておりましたが現在その人達は故人となり、現在、江尻の宿も昔の面影がなく、 淋しく三社一つ棟内に祀り世話は見通し稲荷の鍛冶町自治会がしており、本年三月十三日に祭りを行いました。

「辻・江尻のむかしばなし」 第一集 48頁
辻・江尻公民館 日知大学 高齢者教室
昭和五十八年三月

※掲載者注:上記の記事では、金比羅神社の表記を「琴平神社」としています。

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